この資産は、勝ち取ったものではない
資産は、2.7億円ほどある。この数字を見せると、高収入なのか、投資で一発当てたのかと聞かれることがある。どちらも外れている。答えは、相続である。
両親を、比較的早くに亡くした。実家を売り、手元に残ったのは8千万円ほどだった。これを得をした金として軽く語る気にはなれない。まずそのことだけ、はっきり書いておく。
2021年、それまで自分で貯めていた分と合わせて、1億円ほどの原資ができた。その大半をS&P500に投じた。個別株ではなくS&P500を選んだ理由は、すでに別の記事に書いた。ここに書きたいのは、その判断の中身ではない。親が遺した金を、自分の判断で減らすかもしれない。その怖さを抱えたまま踏み切った、という事実である。
そこからの推移は、一直線ではない。
2022年から2023年にかけて、一度目減りしている。金額にして500万円以上。それでも当時は比較的冷静でいられた。米国株そのものは下がっていたが、円安が円建ての目減りをかなり和らげていたからである。精神力で耐えたというより、為替に助けられていた、というのが正直なところだ。
この増え方を、自分の手柄だとはあまり思っていない。2021年に踏み切ったこと、途中で売らなかったこと。判断はあった。ただそれ以上に、原資を得たタイミング、その後の米国株の上昇、円安。いくつもの外的な条件が重なった結果である。ここから先の推移は、月次資産記録に譲る。
ここから先は、少し明るい話をしたい。
このお金が向かう先は、自分の代で終わりではない。子どもの教育費に使える安心。自分が働けなくなったときの選択肢。そして、いつか自分の子どもたちに、また何かを遺せるかもしれないという可能性。親から自分へとつながったものが、今度は自分から次の世代へとつながっていく。そう考えると、この金は重荷であると同時に、家族の未来を少し明るくする道具でもある。
両親がこの金を遺した意図を、正確には知りようがない。ただ、少なくとも子どもや孫の世代の暮らしが、少しでも楽になればという願いは、そこにあったはずだと思う。だとすれば、自分がすべきなのは、この金を守りながら、次に渡せる形にしておくことだ。
39歳。資産は2.7億円ほど。始まりは相続だった。そこから先をどう育て、どう次につなげていくか。それが、今の自分にとっての課題であり、同時に、ちょっとした楽しみでもある。
